【訃報】曙と言えばVSボブサップでのKO!何故プロレス転向?と残る疑問
2024年4月、元横綱でK1選手・プロレスラーの曙こと曙太郎さんが54歳という若さでこの世を去られました。
曙さんと言えば、相撲界から引退後格闘技のK1に挑戦、ボブ・サップとの試合でのKOシーンはあまりにも多くの日本人の心に焼き付いたと思います。
その後何故かプロレスラーに転向。逝去前の足取りを追悼の念を込めて追及します。
スポンサーリンク
人々の記憶にもっとも残る!VSボブ・サップ戦でのKO
今でも曙VSボブ・サップ戦といえばこの光景が目に浮かびます。
2003年ナゴヤドームでのKO。
相撲という体を合わせる格闘技から「打撃」の格闘技へ転向。
当時のボブ・サップは「ビースト」と呼ばれ同階級ではほぼ敵なしの状態。
はた目から見ても
「どういう神経していたら、こんなヤツと戦えるのだろうか?」
と疑問を持たずにはいられない対戦相手。
もはや「ビースト(野獣)」ではなく「筋肉のバケモノ」と言う方が正しいと思います。
2003年の大晦日に開催された試合ですが、紅白を凌ぐ視聴率とその巨漢と巨漢のぶつかり合いに当時、熱い視線を持たずにはいられなかったのを思い出します。
スポンサーリンク
再戦!2015年に計量でお互いバチバチになる曙とボブ・サップ
そして、2015年に再戦!
計量ではお互いバチバチの様子。
高田延彦さんが止めに入ります。
デモンストレーションにしても空気感は緊迫しています。
そして大の大人3人がかりでも止められない様子。
しかし、2ラウンドでTKO負けという結果に。
ここから2年後
曙のプロレスラー→闘病生活が始まります。
曙・何故プロレスラーに?
当時、曙は横綱特権で5年間限定の曙親方だったそうです。
そして、曙は東関部屋の部屋つきとして若手の相撲取りの監督・指導を行ってきたそうです。
しかし、将来的に東関部屋を継ぐ話や新たに年寄株を取得し独立するなど具体的な話は出ていなかったそうです。
その後、K-1からかなりの高額のファイトマネーやスポンサーが付く話を持ち掛けられたと言います。
5年間限定の親方ということで角界への不安や横綱までに上り詰めたプライド、結婚もしていたので今後の生活への不安から別の道を模索していたと言います。
「曙ステーキ」がもう一つの事業として成り立っていたのでその資金の面もあったでしょう。
どんな世界でも上に昇りつめると不透明な「おいしい話」が出てくるものです。
ですが、曙さんがとった「プロレスラー」としての道が正しかったのか?はわかりませんが、K-1を辞めたあたりから自分の体と相談できていればもう少し違う結果となっていたかもしれません。
スポンサーリンク
曙・2017年闘病生活の始まり
原因は「体調不良」が始まりでした。
この時はまだ「命に別状なし」という診断結果。
しかし、1年後の2018年
TBSのテレビ番組「今夜解禁・ザ・因縁」にて実はかなり深刻な病状であり
心肺機能が37分間も停止するという「意識不明の重体」まで体が追い込まれていたことが判明。
もともと210キロあった体重も140キロになりなんと70キロも体重が落ちた事が発覚。
さらに心肺機能37分間の停止の後遺症により過去5年間ぐらいの記憶があいまいになってしまったということもわかりました。
しかし、療養の末に少しずつ回復。
かなり痩せてしまいましたが、この時は誰もが順調に回復しているものだと思っていました。
ですが、もう完全に「格闘技」や自身が行っていた事業「曙ステーキ」も閉店。
表舞台から完全に姿を消した状態となります。
【曙】相撲取りになる前は?
曙さんはハワイ生まれで父親はアイルランド系のアメリカ人、母親はキューバ系のアメリカ人です。
この頃は、まったく日本との縁を感じないですね。
もともとスポーツは大学生の頃「アメフト」「バスケットボール」をしていたようです。
このことから、もともと日本の相撲にはほとんど興味をもってなかったと思われます。
しかし、バスケットボールは3か月で辞めてしまい(父親とバスケットボール部のコーチが対立したことが原因と言われている)
その時にハワイに来ていた東関親方(元高見山)にその体格を見込まれて日本の相撲界に入門することになります。
しかし、この時東関親方は実は曙の弟(ジョージ)に目を付けていて弟を入門させたかったそうです。
弟ジョージは体格も兄・曙と比べて遜色なく、さらに相撲に必要な足の筋力なども発達。
バランスの取れた「相撲向き」の体をしていました。
それに比べると当時の曙は体格は良いものの足が細く弟と比べると全体的なバランスが相撲向きではなかったとのこと。
しかし、弟ジョージは相撲に対する興味・熱意はほとんど皆無で兄の曙(アメリカ名チャド)を自身の身代わりとして東関親方に差し出しました。
弟の為に自身の将来を差し出すとは…。
このことからも曙は非常に優しく兄弟思いということが伝わるエピソードですね。
スポンサーリンク
【曙】横綱になるまで
曙が横綱になるまでには並みいる「相撲エリート」たちとの戦の連続です。
何しろ当時は
横綱3代目若乃花・貴乃花・大関魁皇・横綱大乃国・大関小錦・霧島
など相撲界が一番湧いた時期でもありました。
さらにその時角界では「強い横綱を作る」という理念の元、横綱に昇進するには非常に厳しい審査基準が設けられました。
しかし、千秋楽結びの一番
(※簡単にザックリ言うと相撲界では非常に見どころがある一番大事な試合)
で当時、大関昇進を賭けていた関脇の貴花田(後の横綱・貴乃花)をわずか2秒で土俵際に突き落とすという快挙で
13勝2敗で3度目の優勝・2場所連続優勝
という快挙を果たします。
これにより横綱・曙が誕生します。
しかも現在は多くの外国人力士の「横綱」(白鵬・朝青龍など)が誕生していますが、実はこの時代外国人横綱は曙一人です。
まさに外国人力士のパイオニアになったという訳ですね!
横綱昇進伝達式の口上は
「横綱の地位を汚さぬよう、けいこに精進します」
というもの。
謙虚さと真面目さがにじみ出る「曙」らしい口上です。
【曙】膝の怪我で横綱引退へ
横綱・曙引退の直接の原因になったのは「膝」の怪我です。
医師からは31歳なのに「老人」の膝と呼ばれるほど膝の軟骨がすり減っている…。
ということで「相撲取り」としては太り過ぎという相撲の強さとある意味逆行・矛盾している怪我ですが体重が強さの一つとされる相撲では足の怪我とは無縁ではいられません。
曙もその一人だったと言われていますが、曙の膝の故障は実は10歳の頃に既に始まっていたと言われています。
「10歳のときに、アメフトで横からぶつけられて、半月板を損傷して手術したんです。」
「それがずっと尾を引いて、中学・高校時代も痛かった。アメリカで車を運転していたときも、障害者用のステッカーを貼っていたほどですからね。」
「新弟子時代も痛みはあって、入門当時から膝にサポーターをつけて稽古をしていました」
引用:ニュースFLASH 曙インタビュー
膝はすでに故障していた…。
体重も相撲取りになりどんどん増やしていったのが原因の一つと言われています。
スポンサーリンク
【訃報】曙と言えばVSボブサップでのKO!何故プロレス転向?と残る疑問・まとめ
それなのにK-1リングに上がり、果てはプロレスラーになり「強い」曙を魅せることをあきらめなかった曙太郎さん。
諦めるという事を知らず最後まで戦い抜いた尊い人でした。
ボブ・サップをはじめ、角界・格闘技業界・芸能界からも惜しむ声が多く相撲界や格闘界を盛り上げた功績はいつまでも残ると思います。
曙 太郎(本名・チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン)さんにご冥福をお祈り申し上げます。